スペシャルインタビュー 桂由美 × 清原當博 SPECIAL TALK SESSION
日本のブライダル業界を築いたレジェンドが
今考えるホスピタリティとは
日本で初めてウエディングドレスを販売し、
日本のウエディング業界を作り上げてきたブライダルファッションデザイナー桂由美氏。
そして50年にわたり、ホテルオークラで、日本のサービス業の土台を構築してきた
日本ブライダル文化振興協会会長の清原當博氏。
おふたりに日本のブライダル、そしてホスピタリティの歴史、
さらに業界に求める人材についてお伺いしました。
[ ユミカツラインターナショナル代表取締役社長 ]
[ 一般社団法人全日本ブライダル協会会長 ]
[ アジアブライダル協会連合会会長 ]
共立女子大学卒業後、ブライダルを学ぶためフランスに留学。1964年日本初のブライダルファッションデザイナーとしてブライダル専門店を設立。’69年に全日本ブライダル協会を設立。’81年ニューヨーク進出を機にロンドン・パリ・ローマなどのコレクションに参加。世界20カ国以上でのブライダルイベントを通じて各国とのブライダル文化の交流に貢献。’93年外務大臣表彰受賞。
[ 元株式会社ホテルオークラ東京代表取締役会長 ]
1971年学習院大学経済学部卒業後、株式会社ホテルオークラ入社。料飲部門で10年間ホテルの基本を学び、その後マーケティング部門、企画広報部門を経て2001年京都プロジェクトに参画。専務取締役総支配人として京都ホテルオークラの運営に当たる。’09年ホテルオークラ東京の代表取締役社長兼総支配人に就任、’14年代表取締役会長、’17年取締役相談役、’18年顧問を経て、’19年退任。現在に至る。
ーブライダル産業の第一人者であるおふたりにとって、お仕事の上での一番のモチベーションはなんでしょうか。
桂私が店を開いた1964年は、結婚式の97%が着物で行われていました。クリスチャンの方や外国人と結婚された方などがウエディングドレスを着ていましたが、日本ではとにかくこのドレスを作れる人がいませんでした。たった3%のシェアですから誰もビジネスとして始めようとしませんから。その3%の方々は海外のウエディングドレスの写真を街の仕立屋へ持っていって「こういうものを」と作ってもらっていましたが、そのまま作っても小柄な日本人女性にはフィットしません。女性の人生において、結婚というのは第二の出発点。それがハッピーでない、ましてや悲しい思いをするなんてあってはいけない。なんとかしなければという気持ちが大きかったですね。それに当時私がアンケートをとったところ、40%の女性が結婚式にウエディングドレスを着たい、と回答したのです。けれども当時結婚式というのは、新郎のお母様に決定権があり、オーダーが入っても式の直前にキャンセルということが多くありました。当時はキャンセル料金の規定もなく、こちらは泣き寝入りするしかありません。そんな状況でしたから仕事を始めた当初はほぼ無給、仕事場に寝泊まりし、ドレスの材料費を稼ぐため母の洋裁学校で働くという日々でした。けれどウエディングドレスを着たいと願った花嫁様のために、という気持ちが私を動かしていました。周りにはなぜ危ない橋を渡るんだと言われていましたけれどね。
清原1971年に私がホテル業界に入った際も「なんでそんな仕事に」と言われました。当時はサービス業という言葉もありませんでしたからね。けれどマニアルをしっかり作り、その通りに実践できたらお客様から「素晴らしいホテルだ」「サービスがいい」と評価される。それを積み重ねていくうちにお客様もさらに上を求めるようになり、その求められたもののさらに上をとできたのが「ホスピタリティ」なんですよね。その積み上げていく過程そのものが私にとって働くモチベーションになりました。

桂1970年代の高度成長の頃、結婚式は贅沢になっていきました。そうなると私たちも初めてのことで、すべてのことにてんやわんや。ホテルはお食事のランクをさまざまに作ったりしていましたね。服装については、江戸時代、身分の高い人だけが着ることのできた打掛をブームにしようと、衣装屋が躍起になっていました。最初に振袖を着て、お色直しで打掛と2着着てもらおうという考えです。けれど、先ほど申し上げた40%の方が「2着着られるならウエディングドレスがいい」とウエディングドレスも一般的になっていきました。1981年の当時チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式がテレビで放送されやっと、ウエディングドレスは最初の儀式で着て、パーティで色のあるものを着用すべきだったと多くの人が気づきました。こうして今の結婚式のスタイルが根付いたんです。ホテルもチャペルをどんどんその頃建築しましたね。
清原ええ、その頃はもう大変でしたよ。そもそもウエディングとはおふたりの夢の後押しをする仕事。衣装があって、お花があって照明があってと、いろいろな要素があります。それぞれの分野の人たちがはじめて経験することですから、最初は自分の仕事で精一杯。フィンガーボールの意味がわからず水をそのまま飲んでしまう方もいたりと、お客様も必死でした。けれどそれぞれの分野が力をつけ、衣装は桂さんのところに、お花はここに、照明はこの方にと、ホテルが取捨選択させていただき、だんだん大きな流れができてきました。先ほど、桂さんは、最初は無給でとおっしゃっていましたが、各分野がそうやって「花嫁様のために」「お客様のために」と必死で60年近くの積み上げてきたもの、その集大成が今のホスピタリティなのだと私は確信しています。

ーホスピタリティを学ぶ、ということは、ブライダルやホテル産業以外の業種にも重要なことですよね。
清原その通りです。こうやってそれぞれの分野が積み重ねたことを、異業種の方が学びたいとおっしゃってくれています。これまで自動車産業、医療業界、教育関係とさまざまな業界の方がホスピタリティを学ぶべく私たちのもとを訪れてくださいました。現在銀行のロビーには親切に案内をしてくれる職員の方がいますよね。病院でも車を誘導してくれる人がいる。どれもホテルで考えれば当たり前のことです。各業界がこのように意識することで、日本全体のホスピタリティのレベルが上がっていったように思います。その土台は、やはり桂さんの衣装であり、業界の人々の総力だったのだと思うのです。さらに我々が力を尽くせば、向上したこのホスピタリティをさらなるセカンドステージに持っていくことができるかもしれません。次はそこに注力していくべきだと思うのです。

ー激動の時代の中で今、お客様の求めることはどう変化していると感じられていますか?
桂これから日本の結婚式はさらに多様化していくと感じています。パンデミックで家族中心の小さなものが中心になっていますが、そのことによって「結婚式はしない」と考えていた方々が「小さくてもいいなら、なにかしてみよう」と思えるようになってきています。自宅での式や、屋外で行うテントウエディング、もちろん大きな式もありますし、さまざまな結婚式がこれから行われていくでしょう。そして今、婚姻人口そのものがとても下がっています。そのなかで私たちが注力しているのが「アニバーサリーウエディング」です。結婚10周年から60周年まで、10年ごとに式をするのです。女房に惚れ直したと旦那さんがおっしゃってくれたり、「日頃ケンカばかりしているお父さんとお母さんだけど、結婚っていいものなんだな」と思えたと子供たちが言ってくれたり。いいことがたくさんある式なんです。これから盛んになっていくでしょうね。
清原今の時代、家から仕事ができるようになり、さまざまなことが変化しました。けれどホテル業界、そしてホルピタリティ産業は、人と会い、会話するところが基本でそれは揺らぎません。もちろんご祝儀のキャッシュレス化など、便利にできるところはどんどんやっていきます。けれど最終的に、人の素晴らしさに感動する、ということは変わりません。結婚式をやってみたい、式をするならあの人に会いたい、という思いを掘り起こす披露宴をつくっていき、人々がもっと街にでていけるようにする。それがホスピタリティ産業に携わる者の責任であると感じています。そのためには、桂さんや先人が築いてきた歴史を振り返り残すべきもの、変えていくべきものを明確にしていくことが大事です。大変なことですが、やっていかなければなりません。
ーブライダル業界、ホテル業界には今、どんな人材が求められていますか?
桂私はさまざまな思いがあります。福井県の若狭には、弊社のドレスを製作する工場があり、実は日本ではウエディングドレスを専門で作る工場はここ1軒だけだそうです。ここに2022年に私のミュージアムを作っていただき、60年のトレンドの動きがわかる70着のドレスを展示しています。このミュージアムがあることで、もしかして福井県の婚姻率は上がるかもしれない。そして今、ウエディングが盛んな海外からも見にきてもらえるかもしれない。そんな要素が加わり、工場で働く方々のモチベーションが変化しているそうです。そして何より日本で唯一のウエディングドレスの工場で働き、守っていきたいと思ってくださっている。そういう強い思い、世界を変えるのだという思いを持っていることは働くうえで大事だと思います。




清原そうですね。私たちの場合、お客様にホスピタリティビジネスを感じていただくには、際立つようにやってはいけません。一歩引くこと。これがホスピタリティ産業で次の時代を担うために大事になるでしょう。私たちの仕事は常に人間学を学び続けています。何をしたら人は喜ぶのか、どう挨拶をすべきか、それらを知ることは日々の生活の中でも役立つでしょう。そしてそれをお金を頂きながら学ぶことができる。とても贅沢な仕事です。常に人間について考え、学び続けることができる、この業界を目指す方は、ぜひそんな人になっていただきたいです。
