企業プロジェクト
株式会社ユミカツラ
インターナショナル
YUMI KATSURA INTERNATIONAL

ドラマティックなドレスで花嫁を輝かせ続ける。
すべては、花嫁の幸せのために。
日本人女性のボディーラインの美しさを最大限に引き出したシルエット「ユミライン」をはじめ、
オンリーワンのデザインで花嫁のハレの日をドラマティックに輝かせる、桂由美さん。
日本で初めてウェディングドレスをデザインするなど、ブライダルの価値観を変えた
桂由美さんの歩んできた道と、ブライダル業界の未来について伺いました。
共立女子大学卒業後、ブライダルを学ぶためフランスに留学。1964年日本初のブライダルファッションデザイナーとしてブライダル専門店を設立。‘69年に全日本ブライダル協会を設立。’81年ニューヨーク進出を機にロンドン・パリ・ローマなどのコレクションに参加。世界20カ国以上でのブライダルイベントを通じて各国とのブライダル文化の交流に貢献。’93年外務大臣表彰受賞。
ー桂さんは、日本で初めてウエディングドレスを販売し、日本のウエディング業界を作り上げてきました。お仕事の上での一番のモチベーションはなんだったのでしょうか。
私が店を開いた1964年は、結婚式の97%が着物で行われていました。一部のクリスチャンの方や外国人と結婚された方などがウエディングドレスを着ていましたが、日本ではとにかく作ってもらえるところがないのです。
だってたった3%のシェアですから誰もビジネスとして始めようとしなかった。その3%の方々はだいたいが海外のウエディングドレスの写真を街の仕立て屋に持っていって「こういうものを」とオーダーし作ってもらっていたようです。けれど実際その写真のまま作っても小柄な日本人女性にはなかなかフィットしません。当時の日本人女性の平均身長は今より12cmほど低くて150cm代がほとんどでしたからね。170cm以上ある欧米のモデルさんと同じものを着てしまっては、「イメージと違った」となるのも当然です。けれど女性の人生のなかで、結婚式というのは第二の出発点。それがハッピーでない、ましてや悲しい思いをするなんてあってはいけません。これはなんとかしなければという気持ちが大きなモチベーションになりました。
それに当時私がアンケートをとったところ、40%の女性が結婚式にウエディングドレスを着たい、と回答したんです。けれども当時結婚式というのは、新郎のお母様に決定権があり『ドレスなんて安っぽい』と、オーダーが入っても式の直前にキャンセルということが数多くありました。当時はキャンセル料金の規定もなかったので、こちらは泣き寝入りするしかありません。そんな状況でしたから仕事を始めた当初はほぼ無給、仕事場に寝泊まりし、生活費を稼ぐために母の洋裁学校で働くという日々でした。けれどウエディングドレスを着たいと願った花嫁様のために、という気持ちが私を動かしていました。周りには、裁縫の先生だけやっていればいい、なぜ危ない橋をわざわざ渡るんだと言われていましたけれどね。

ーそんななか、日本の結婚式はどう変わっていったのでしょうか。
1970年代の高度成長の頃、結婚式はどんどん贅沢になっていったんです。どこの国でも経済が成長すると最初に豪華になるものは結婚式だそうです。そうなると私たちも初めてのことで、すべてのことにてんやわんや。ホテルはお食事のランクをさまざまに作ったりしていましたね。服装については、江戸時代、身分の高い人だけが着ることのできた打掛をブームにしようと、衣装屋がやっきになっていました。最初に振袖を着て、お色直しで打掛と2着着てもらおうという考えです。けれど、先ほど申し上げた40%の方が「2着着られるなら1着はウエディングドレスがいい」と少しずつウエディングドレスも一般的になっていきました。けれど当初は最初にカラフルな打掛を着て、そのあと「お色直し」で白いウエディングドレスを着るのが主流でした。1981年の当時チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式がテレビで放送されてやっと、ウエディングドレスは最初の儀式で着て、パーティで色のあるものを着用するのが「お色直し」だと、多くの人が気がついて今の結婚式のスタイルが根付きました。ホテルもチャペルをどんどんその頃建築しましたね。
ー一方で現代の激動の時代のなかで今、お客様の求めることはどう変化していますか?
これから日本の結婚式はさらに多様化していくと感じています。欧米ではロックダウンの反動で派手な結婚式が戻ってきているそうですが、日本では今後も家族中心の小さなパーティが主流になるのではないかと思いますが、それはなにもマイナスなことではなりません。「結婚式はしない」と考えていた方々が「小さくてもいいからなにかしてみよう」と思うようになってきているんですから。自宅での式や、屋外で行うテントウエディング、さまざまな結婚式がこれからいろいろな場所で行われていくでしょう。実はテントウエディングを最初に行ったのも私たちなんです。儀式的ではなく、楽しく和やかに行えて、結婚式に堅苦しさを感じていた人たちも選んでくれていますよ。また現在、日本は婚姻人口そのものがとても下がっています。そのなかで私たちが注力しているのが「アニバーサリーウエディング」というもの。結婚10周年から60周年まで、10年ごとに式をするのです。神戸と京都でこれまで行ってきましたが、「女房に惚れ直した」と旦那さんがおっしゃってくれたり、「日頃ケンカばかりしているお父さんとお母さんだけど、結婚っていいものなんだな」と思えたと子供たちが言ってくれたり。いいことがたくさんある式なんです。新婚当時に結婚式を挙げなかった人たちにとってもいいでしょう。そういうさまざまな式のかたちが、これからも増えていくのだと思います。

ーブライダル業界には今、どんな人材が求められていますか? どんな方とともに働きたいですか?
私にはさまざまな思いがあります。福井県の若狭には、弊社のドレスを製作する工場があり、実は日本ではウエディングドレスを専門で作る工場はここ1軒だけだそうです。ここに2022年に私のミュージアムを作っていただき、私たちが最初にウエディングドレスを販売してからの60年のトレンドの動きがわかる70着のドレスを展示しています。このドレスを見てもらったら、福井県の婚姻率は上がるかもしれない。そして今、ウエディングが盛んな海外からも見にきてもらえるかもしれない。そんな要素が加わり、工場で働く方々のモチベーションが変化しているそうです。そして何より日本で唯一のウエディングドレスの工場で働き、そこを守っていきたいと思ってくださっている。そういう強い思い、世界を変えるのだという思いを持っていることは大事だと思います。
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名誉学校長
桂由美先生から直接学ぶ授業
ふるさとウェディングを企画して桂先生に直接評価いただきました!
授業のお題は「江戸川区のふるさとウェディングのプランニング」。ふるさとウェディングとは、結婚するお二人だけではなく、出席されたゲスト、そして地域の人たちまでも幸せにする結婚式のこと。心温まる企画やユニークな企画まで自由な発想で企画を発表しました。桂由美先生に直接アドバイスや評価を頂きます。




